ラベル

2011年10月28日金曜日

Anri Sala -“Art Now3”




 アンリ・サラの作品は新しい感知の形式を可能とするために、よく知った視聴覚経験を転覆させる異化効果を持っている。フランクフルトの展覧会のために、サラは彼の作品である三分間のサイレントビデオ“Cymbal”(2004)を、ヴィデオインスタレーションに作り直し“After Three Minutes”2007)と名付けた。“Cymbal”は、ストロボの光を反射するシンバルをクローズアップで撮影し、オプティカルな音響効果を作り出している。“After Three Minutes”では、保留と提供との間の相互作用を新しいレベルへと導いている。ヴァージョンが少しばかり変更された“Cymbal”は、ひとつのスクリーンに二重に映写され、同じヴィデオが別のスクリーンで表示されたとしても、美術館の監視カメラの映像は異なったアングルと異なったイメージの質を捕らえている。他の作品では、サラは、フィルターとメディアを通じて、視覚的な情報よりもアコースティックなものに移行している。“Air Cushioned Ride”(2006)は、雰囲気の偶然の一致を捕らえたドキュメントである。駐車場をドライビングしている間、サラは彼のカーラジオからふたつの音楽番組を選び、同時に聴いた。たくさんの大型トラックの存在によって、ラジオの電波はブロックされ、偏向される。カメラは残された貨物自動車の周りを何度も旋回し、音楽はバロック管音楽とカントリー&ウェスタンの間を交互する。サラは、サウンドトラックへの録音とバロック三重奏とカントリー&ウェスタンバンドとの共同パフォーマンスによるライブ演奏へと帰着していった。ここでの演奏はヴィデオとして“A Spurious Emission”(2007)に収められた。スコアも同様のタイトルとして存在し、偶然の/同時発生の音楽の形態として始まり、さらなる置き換えを可能としている。

text by Astrid Mania (berlin-based indipendent writer and curator)

A Spurious Emission” - Hauser & Wirth
http://www.hauserwirth.com/artists/26/anri-sala/images-clips/5/

2011年10月23日日曜日

“Miniatures” at Barbel Graesslin

http://angelfloresjr.multiply.com/journal/item/2666


Exhibition Title: Miniaturen



Artists: Helene Appel, Heimo Zobernig, Stefan Müller, Helmut Dorner, Imi Knoebel, Markus Oehlen, Albert Oehlen, Miriam Cahn, Georg Herold, Martin Weidemann, Herbert Brandl, Günther Förg, Maria Brunner, Thomas Werner, Reinhard Mucha, Tobias Rehberger, Hubert Kiecol, Martin Kippenberger, Dirk Skreber, Christa Näher, Meuser, Johannes Esper, Oliver Schuss, Elisabeth Becker, Werner Büttner, Manuel Ocampo

Venue: Barbel Graesslin, Frankfurt

Date: July 11 – August 29, 2009

2011年4月2日土曜日

 

ストライプつながりで、アンゼルム・ライル(anselm reyle)も気になる作家のひとり。


ブリジット・ライリー風のストライプだけど、オプ・アートと違って錯視じゃなくマテリアルがチカチカしてる。
この手のリフレクション系は安易に見えるけど、その実、「光」を一番の問題とする絵画の表現としてとても真っ当なものだと思う。
つまり、これだけ映像があふれてる世界で、モニターを通さない光を像として捉えることはどういう意味があるのか。
光の反射を知覚することが、身体とマテリアルと関係をどうつなぐことになるのか。
リフレクション系の作品にはそういう関心があるように思います。

あと、錬金術的な関心。
光ってるものを美しいと思い、所有欲を駆り立てられる不思議。
それがチープな素材でも、美しさを持ってしまう不思議。
そういう関心も見て取れる。


アルミホイルみたいな素材。
かなりでかいです(2.5×2.0mある)。
ライルは彫刻もやってて、ジェフ・クーンズみたいな感じの金属塗装の彫刻で、それも良い。

2011年4月1日金曜日

 

南川史門さんが使うストライプの使い方がとても好き。
人物画の中に組み込んでいるものがとくに機能的だと思う。
(最近は控え目だけど。)



このストライプの使い方の出所はピカソだと思う。




この辺は70年代。
ピカソ90歳。最晩年。
ピカソの絵は眼を誘導する線の力がすごい。
とにかく機能的。
うす塗りでもそれは十分機能してる。


鼻の頭を描かないのがさすがだね。

2011年3月30日水曜日

 

Gagosian gallery parisでrichard princeの展示がある、らしい…(まだガゴシアンのHPには情報が出てないのだけど)。

The Daily Beast内の記事Richard Prince's Tribute to Willem de Kooning


リチャード・プリンスは、ナース・ペインティング(ソニック・ユースのジャケにもなった)でカムバックしたけども、今度はデ・クーニングをモチーフにしたシリーズを発表するみたい。


ここ最近は抽象表現主義のパロディがあちらさんでは流行ってるらしくプリンスも上手いこと、といった印象も受けるけど、もう少し事態は複雑かも。
と言うのもデ・クーニング的な人物表現は彫刻の方に移行していてけっこう根強い。
Thomas HouseagoとかMatthew MonahanとかRebecca Warrenとかaaron curryとか。

Thomas Houseago



でかい!!巨人兵っぽい。

Matthew Monahan



モナハンは結構作風に降り幅があって、もっとスマートな作品もあります。
今年、麻布のkaikai kiki galleryで展示をやるらしい。


Rebecca Warren


女性のスカルプターです。
セシリ—・ブラウン(こっちはペインターだけど)とか女性にもデ・クーニングフォロワーはいる。

aaron curry


イサム・ノグチも入ってますね。

デ・クーニングはピカソの亜流みたいに言われてしまうけど、そうは言っても戦後の欧米の人体表現を決定付けたのは確かな訳で、リチャード・プリンスがそこに立ち返るのもそれなりに意味があるように思います。
プリンスの仕事の多くはアメリカという国家プロジェクトの解析に向けられているわけで(抽象表現主義のパロディの流行もそういった意識だったと思います)、今回のシリーズで欧米のアート界では人体への関心が高まることになると思います。
(もしかしたら、2010年のパフォーマンスの再評価とも関連してるかもしれない。)

プリンスの作品はデ・クーニングの絵と写真やドローイングをコラージュさせたもので、人体をマッスとフラットに分裂させた表現になっている。
人体を捉えようとするとどうしてもキュビズム的になってしまう欧米の表現を考えると、やはり日本のマンガやアニメの人体表現がどれだけ特殊なのかを考えざるを得ない。

2011年3月29日火曜日

 

"Predictable Feelings" at Office Baroque



Matthew Brannon(↓)。エライ渋い。


コンセント…。

展覧会タイトル、コンセプトの"predeictable feelings"は意訳すれば、「わかりきったカンジ」。
家具、インテリアに擬態する作品群を捉えるコンセプトとしてはなかなかいいネーミングだと思う。
この手の源流はドナルド・ジャッドにあるけど、日本でこの手作風を真似してもちっともおもしろくならないのは、空間性が違うからなのかしら。
いわゆる「見立て」的な発想。
茶室なんかの空間性を経由すれば理解しやすいし、また日本独自の視点でこの手の作品を作り直すこともできると思う。
例えば、坂田實さんのお店とかはこういうアーティストの仕事と近いコンセプトだと。


古道具坂田さん。


千葉県に美術館も作ってます(まだ行ったことない)。




自転車でいけるかな…。