もう そこには わたしの家なぞ ないのですが
もう そこにしか わたしの家は ないのです
—水銀ヒステリア「家」
2011年12月11日日曜日
禍いが君の身体に入った。どこかのマチカナリが、君に禍いを起こしたのさ。君がうっかりしていて、マチカナリの道を通ったからだよ。君の身体は、魂のクシュマにすぎない。蚕の繭のような魂を包み込むマント。君の魂は、君のなかに侵入したい禍いから身を守ろうとしたんだ。魂は一つであることをやめ、たくさんの魂に分かれて、禍いを混乱させようとした。禍いは、できる限り魂を盗んだ。一つ、二つ、そして、いくつも。だが、たくさんかき集めることはできなかったのだろう。なぜなら、そうだったら君は完全に死んでいたはずだ。トエの水で身体を清め、湯気を吸いこんだことは悪くない処置だ。しかし、もっと抜かりのないやり方を本当はすべきだった。頭のてっぺんにアチオテの汁を赤くなるまですり込むのだよ。そうしておけば、禍いは君の魂を持って出ていけなかった。そこが、出口であり、入り口だから。アチオテはその道を塞いでしまうのだ。中に閉じ込められたと思うと、禍いは力を失い、死んでしまう。身体は家と同じなのさ。家に入ってきた悪魔は、魂を盗んでも、もっとも高い天井のてっぺんから逃げ出せないのではないだろうか。天井の先端の木を組むとき、なぜ細心の注意を払うのか。それは、寝ている者の魂がたとえ悪魔に盗まれても、その悪魔を逃さないためだよ。身体も同じことだ。魂を失くしたために、身体から力が抜けるように感じたのだ。しかし、それはもう君のところへ戻ってきた。だから、君はここにいる。カマガリーニが眼を離したすきに、魂たちは、キエンチバコリのもとから逃げ出してきたのだろう。君を捜して、戻ってきたのだろう。君は魂たちの住家じゃないだろうか。
—バルガス=リョサ『密林の語り部』
—バルガス=リョサ『密林の語り部』
2011年11月24日木曜日
川合健二「川合邸(コルゲートハウス)」
KAWAI kenji _"corrugated house" (Toyohashi, JAPAN), 1966
アセテート|『川合健二マニュアル』
http://www.acetate-ed.net/bookdata/008/008.html
ドラム缶の家
http://machizo7.seesaa.net/article/141235667.html
2011年11月23日水曜日
建物とはすべての人達に気に入られなければならない。このことは、誰にも気に入られる必要もない芸術作品と相違する点である。芸術作品とは、それに対する必要性が何らなくとも、つくられ、世に送り出される。ところが建物は必要性を満たすものだ。芸術作品は誰にも責任を追う者はないのが、建物は一人一人に責任を負う。また芸術作品は、人と快適な状態から引き離そうとするが、建物は快適性をつくり出すのが務めである。芸術作品は革新的であり、建物は保守的である。芸術作品は人に新しい道をさし示し、未来を考えさせる。ところが建物は現在を考えるのである。人間は自分を快適にするものなら、なんでも好きだ。そして自分をそうした快適、安全な状態から引き離そうとするもの、邪魔しようとするものなら、なんでも憎む。このようにみてくると、人は建物、家を愛し、芸術を憎むといってもよかろう。
かくして、建築と芸術はなんら関係がないのではあるまいか、そして建築を芸術のいちジャンルに加えることはないのではあるまいか? 事実、その通りなのだ。芸術に加わるのは、ごく一部の建築でしかない。それは墓碑と記念碑だ。目的に従事するその他の建築はすべて、芸術の王国から締め出されねばならない。
—アドルフ・ロース「建築について」
かくして、建築と芸術はなんら関係がないのではあるまいか、そして建築を芸術のいちジャンルに加えることはないのではあるまいか? 事実、その通りなのだ。芸術に加わるのは、ごく一部の建築でしかない。それは墓碑と記念碑だ。目的に従事するその他の建築はすべて、芸術の王国から締め出されねばならない。
—アドルフ・ロース「建築について」
2011年11月19日土曜日
19世紀のブルックハルトによれば、ミケランジェロによるラウレンツィアーナ図書館のエントランス・ホールは最も初期マニエリストの実験を体現するものであり、「明らかに偉大なジョーク」であった。しかし、それ以降の世代にとってジョークは次第とはっきりとしなくなり、しばらくの間、目に入るのは原バロック的16世紀のみであったが、1920年代に現代の攪乱のパターンを不思議にも再現する時期が訪れたのであった。このとき、視覚はあたかも決定的に歪曲を受けたかのようであり、視覚的な曖昧さが求められたので、この歪曲によって現代の作品にも視覚的曖昧さが作り出されたし、それ以前は非の打ちどころのないほどに整合されたと思われていた作品のなかにさえ、曖昧さを発見できるようになったのである。従って、もしある時期ルネサンス運動全体を意味する古典主義が、一点の曖昧さもないものにみえ、また別の時期には、エドワード朝の印象主義者的な目から、すべてのものに彼らの自身のバロックとも言うべき官能性をみてとったとすれば、今日という時代は、自分たちの作品にも、あるいは歴史上のものへの評価にも徴されるマニエリスム的な不安定な激しさに対して異常に敏感であると言えよう。かくて、マニエリスムが歴史家によって区分され、定義されたのが1920年代であり、近代建築に倒錯した空間の効果が最も強くもとめられていたと感じられる時期と合致するのも当然と言えよう。
—コーリン・ロウ「マニエリスムと近代建築」
—コーリン・ロウ「マニエリスムと近代建築」
2011年11月17日木曜日
果して見える。見えるも、見えるも、庭の松の木も見える、杉垣も見える、物干竿も見える、物干し竿に足袋のぶらさげてあるのも見える、其下の枯菊、水仙、小松菜の二葉に霜の置いて居るのも見える、庭に出してある鳥籠も見える、籠の鳥が餌を喰ふのも見える、さうして一寸尻をあげて糞するのも見える、雀が松の木をあちこちするのも見える、鶸が四五羽つれだつて枯木へ来たと思ふと直に又はらはらと飛んでしまふのも見える、鶯が一羽黙つて垣根をあさりながらふいふいと飛びまはるのも見える、裏戸をあけて水汲みに行くのも見える、向ひの屋根も見える、上野の森も見える、凍つたやうな雲も見える、鳶の舞ふて居るのも見える、四角な紙鳶と奴紙鳶と二つ揚つて居るのも見える、四角な紙鳶がめんくらつて屋根の上に落ちたのも見える、それを下から引張るので紙鳶が鬼瓦に掛つてうなづいて居るのも見える。殊に雪の景色は今年つくづくと見た。山吹の枝に雪の積んだのが面白いといふ事も今年知つた。
—正岡子規「新年雑記」
晩年、脊椎カリエスを患った子規は歩くこともままならずその時間の多くを自室で過ごした。自室の窓が障子からガラス窓に取り替えられたこの日、子規の眼は庭を駆け回り、その言葉は新聞の連載となって全国へと届けられた。無論、届けられたのは子規の生き生きとした眼差し、魂の健康さそのものである。
—正岡子規「新年雑記」
晩年、脊椎カリエスを患った子規は歩くこともままならずその時間の多くを自室で過ごした。自室の窓が障子からガラス窓に取り替えられたこの日、子規の眼は庭を駆け回り、その言葉は新聞の連載となって全国へと届けられた。無論、届けられたのは子規の生き生きとした眼差し、魂の健康さそのものである。
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