ラベル

2012年3月16日金曜日

我々は、最も高くつく商品を死と不完全化のイメージで宣伝する社会に生きているが、それはそのイメージを、アルファ波を発生する発癌性物質的なリアリティを歪める装置を通じて、何百人もの爬虫類的な小脳に直接的に照準しているのだ——一方で、生命のある種のイメージ(例えば子どもの自慰等、我々の好むところのもの)は迫害され、途方もなく残忍に罰せられる。いわゆる「アート・サディスト」であることはまったく度胸を必要とするようなことではないが、なぜなら猥褻な死が我々の「コンセンサスのパラダイム」の美学的中枢に存在しているからだ。粉飾が好きで「警察と犠牲者」という劇を演じるのを好む「レフティスト」、残虐な写真を前に手淫する人たち、そしてスプラッター・アートやもったいぶった絶望感、かっこいい残虐性や<他の人々の苦痛>について<考えたり>知的に分析したりするのを好む人たち——彼らのような「アーティストたち」は、権力を持たない警官(多くの「革命家」に対しての完璧な定義でもある)以外の何者でもない。我々はこれらの美学的ファシストに投げつける黒い爆弾を持っている——それは精液と爆竹、嗄れ声の駄馬と海賊行為、奇妙なシーア派の異端者、そして泡立つパラダイスの泉、複雑なリズム、生命の脈動、すべての形なく奇矯なものをまき散らす。
 立ち上がれ!呼吸しろ!世界の息遣いを肌で感じろ!その日を掴め!呼吸しろ!呼吸しろ!

—ハキム・ベイ「知性的なS/Mは80年代のファシズムである——アヴァンギャルドは糞を食べるし、それを好む」『T.A.Z.』