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2011年3月30日水曜日

 

Gagosian gallery parisでrichard princeの展示がある、らしい…(まだガゴシアンのHPには情報が出てないのだけど)。

The Daily Beast内の記事Richard Prince's Tribute to Willem de Kooning


リチャード・プリンスは、ナース・ペインティング(ソニック・ユースのジャケにもなった)でカムバックしたけども、今度はデ・クーニングをモチーフにしたシリーズを発表するみたい。


ここ最近は抽象表現主義のパロディがあちらさんでは流行ってるらしくプリンスも上手いこと、といった印象も受けるけど、もう少し事態は複雑かも。
と言うのもデ・クーニング的な人物表現は彫刻の方に移行していてけっこう根強い。
Thomas HouseagoとかMatthew MonahanとかRebecca Warrenとかaaron curryとか。

Thomas Houseago



でかい!!巨人兵っぽい。

Matthew Monahan



モナハンは結構作風に降り幅があって、もっとスマートな作品もあります。
今年、麻布のkaikai kiki galleryで展示をやるらしい。


Rebecca Warren


女性のスカルプターです。
セシリ—・ブラウン(こっちはペインターだけど)とか女性にもデ・クーニングフォロワーはいる。

aaron curry


イサム・ノグチも入ってますね。

デ・クーニングはピカソの亜流みたいに言われてしまうけど、そうは言っても戦後の欧米の人体表現を決定付けたのは確かな訳で、リチャード・プリンスがそこに立ち返るのもそれなりに意味があるように思います。
プリンスの仕事の多くはアメリカという国家プロジェクトの解析に向けられているわけで(抽象表現主義のパロディの流行もそういった意識だったと思います)、今回のシリーズで欧米のアート界では人体への関心が高まることになると思います。
(もしかしたら、2010年のパフォーマンスの再評価とも関連してるかもしれない。)

プリンスの作品はデ・クーニングの絵と写真やドローイングをコラージュさせたもので、人体をマッスとフラットに分裂させた表現になっている。
人体を捉えようとするとどうしてもキュビズム的になってしまう欧米の表現を考えると、やはり日本のマンガやアニメの人体表現がどれだけ特殊なのかを考えざるを得ない。

2011年3月29日火曜日

 

"Predictable Feelings" at Office Baroque



Matthew Brannon(↓)。エライ渋い。


コンセント…。

展覧会タイトル、コンセプトの"predeictable feelings"は意訳すれば、「わかりきったカンジ」。
家具、インテリアに擬態する作品群を捉えるコンセプトとしてはなかなかいいネーミングだと思う。
この手の源流はドナルド・ジャッドにあるけど、日本でこの手作風を真似してもちっともおもしろくならないのは、空間性が違うからなのかしら。
いわゆる「見立て」的な発想。
茶室なんかの空間性を経由すれば理解しやすいし、また日本独自の視点でこの手の作品を作り直すこともできると思う。
例えば、坂田實さんのお店とかはこういうアーティストの仕事と近いコンセプトだと。


古道具坂田さん。


千葉県に美術館も作ってます(まだ行ったことない)。




自転車でいけるかな…。