19世紀のブルックハルトによれば、ミケランジェロによるラウレンツィアーナ図書館のエントランス・ホールは最も初期マニエリストの実験を体現するものであり、「明らかに偉大なジョーク」であった。しかし、それ以降の世代にとってジョークは次第とはっきりとしなくなり、しばらくの間、目に入るのは原バロック的16世紀のみであったが、1920年代に現代の攪乱のパターンを不思議にも再現する時期が訪れたのであった。このとき、視覚はあたかも決定的に歪曲を受けたかのようであり、視覚的な曖昧さが求められたので、この歪曲によって現代の作品にも視覚的曖昧さが作り出されたし、それ以前は非の打ちどころのないほどに整合されたと思われていた作品のなかにさえ、曖昧さを発見できるようになったのである。従って、もしある時期ルネサンス運動全体を意味する古典主義が、一点の曖昧さもないものにみえ、また別の時期には、エドワード朝の印象主義者的な目から、すべてのものに彼らの自身のバロックとも言うべき官能性をみてとったとすれば、今日という時代は、自分たちの作品にも、あるいは歴史上のものへの評価にも徴されるマニエリスム的な不安定な激しさに対して異常に敏感であると言えよう。かくて、マニエリスムが歴史家によって区分され、定義されたのが1920年代であり、近代建築に倒錯した空間の効果が最も強くもとめられていたと感じられる時期と合致するのも当然と言えよう。
—コーリン・ロウ「マニエリスムと近代建築」
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