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2012年4月7日土曜日

60年代中頃、ある人からコーヒーテーブルをデザインしてほしいと頼まれた事を、80年代半ばになって書き記し、それはすでにある長方形のテーブルのテブールトップの埋め込まれた部分を直せば事足りると思っていた。しかしこのアイデアから制作したテーブルは醜く、後で廃棄するはめになった。芸術の形や規模は、家具や建築のそれに置き換えたり、当てはめることはできない。芸術の趣旨と、実用性が必須の家具や建築の目的とは異なるからだ。仮に椅子や建物が実用できず芸術としてしか存在できないのなら、それはとんでもないことだ。椅子の真価とは、芸術に類似する必要はなく合理性や便利性、そして椅子として使用できるのかのその尺度にある。芸術の中にある芸術は、他者の意見はさておき、美術家の概念の強い主張にある。芸術作品はそれ自体に存在意義があるが、椅子は椅子として存在する。だが同時に、椅子の概念は椅子自身の中には存在しない。芸術が家具に成り得ないという理由から、この出来事の後数年間そうした試みをしなかったが、常に建築には興味があり、頭に浮かんだアイデアをスッケチすることは継続していた。

—ドナルド・ジャッド「優れたランプを見つけ出すのは難しい」

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