物中、体は機体を分ち、性は色性を分つ。機体はすなわち天地、色性はすなわち象質。体なる者は物なり、虚実を以て天地の体を成す。機なる者は物に非ず、動止を以て転持の形を成す。是に於て、天中、能く転じ、持中、能く持す。故に機体は物を含して、而して虚中、能く動き、静中、能く実す。物有れば、則ち性有り、是れ一一の常なり。地性は潤湿の液に溢れ、天性は光明の華に漏る。華液はすなわち象質の謂なり。虚なる者は其の気は清なり。而して濁を地に於て託す。実する者は其の性は潤なり。而して乾を天に於て送る。是に於て、地液は質を為して性なり。天清は象を為して色なり。性は潤湿を反して、燥気水質の天地を成す。色は明暗を反して、影気日象の天地を成す。天地、各々天地を有して、而して万物は此の中に成るなり。象なる者は其の体は虚に属す、虚にして而も虚に非ず、是を以て色なり。質なる者は其の体は虚に属す、実にして而も実に非ず、是を以て性なり。体は天地転持を含し、性は日影水燥を合す。水は性を天の影に於て同じくし、而して地上の燥を以て偶す。日は性を地の燥に於て同じくし、而して天中の影を持って偶す。是に於て、水燥は下に塞がり、日影は上に充つ。
—三浦梅園「機体色性」『天地訓』
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